関係性を用いた博論構想は抗争でないからこそ功を奏す

面白いモデルを思いついたまでは良かったんですが,あんまりセンセに伝わりませんでした。
よって,ここは方略的に「指導教員に教えて差し上げる」思考を導入。

以下,そのプロセスを。




俺様の研究を理解できないのは,もったいない事だと思うぞ。全く,どうかしてるよ。しかし,ここで「分からない奴はほっとく」的態度を取ることも可能だけれど,相手は指導教員。かなりの義理もある。ま,丁寧に教えて差し上げても良いかな。仕方がないから,相手が理解できるレベルまで,話をかみ砕こうか。そうすれば,教えて差し上げられるだろう。昨日以上にね。





センセの反応は,僕にとっての指標です。
何の指標かというと,「研究のまとまり具合」「整理され具合」といった所の指標です。うちのセンセは妥協せずに居てくれます。分からない時は分からないと言ってくれる。つまり僕としては,指導教員が「分かったぞ」といった反応を示したときに,あぁ,ようやく人に教えて差し上げられる段階に来たのだな,と確認できる。

言い換えると,「これで本格的に調査を実施できるな」。

センセに分かって欲しいとか,面白がられたいとか,そういうのももちろんありますけど,むしろ僕にとってセンセとの話し合いは,「関係性を用いた博論進行具合の査定」といった感じです。とても方略的なやり口ですが,これは僕がセンセを信頼しているからこそできる事なわけです。センセの何を信頼しているかというと,好みだけで否定しない事,センセの「分からない」という感覚がかなり確からしいという事です。

問題は,これを僕がインターナライズできるか,ということでしょう。特に確かな「分からない」という感覚のインターナライズ。それができれば,もう会う必要がありませんよね。つまり終結。研究者としての独り立ち。


ちなみに,上で用いた2つの方略は,権威との闘いを有利にしてくれそうです。主体を常にこちらに置き続ける,余計な「へりくだり」をする余地を自分に与えなくて済む,そう言った意味で,です。
スポンサーサイト

良いモデルを思いついた

最近深夜に大学に来ることが多いんです。

院生ってのはやっぱ夜中にピリピリしてこそだ。

そして深夜に訪れる創造的な瞬間。たまりませんね。

博論のチャートも兼ねたモデルが思いつきました。あれもこれも整合しそうです。

記憶とイメージの二重処理。そして感情。なかなか変態的で面白そうです。

Read more...

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。