かつて誰も奏でた事のない旋律を奏でられるか

オリジナリティがどうとかって話は大好きなもので,某所にコメントしようと思ったのですけど,混ぜっ返しになるだけだし,これは議論の枝葉でしかないし,間違いなく長いし,ってことで,こっちで自由に書くことにしました。

こんなもんアップしてどうしようってんだって気もしますけど,せっかく時間もかけたことだしね。

未だかつて誰も奏でたことのない旋律は存在するのか。

間違いなく言えることは,我々はそれを確かめる術を持たないということである。

音源化されている旋律の数は,もはや把握することすら叶わぬほどであり,全てを逐一確認することなど望めようはずがない。ましてや,音源化されていない旋律について,それを確かめる術など存在するだろうか。つまり,我々はある旋律が「未だかつて誰も奏でたことのない旋律」であるかどうかということを,知ることすらできないのである。



あるいは,

人間の行う創造的行為そのものが,記憶という呪縛から解き放たれる可能性は如何ほどあるのか。

模倣などは言うまでもなく,記憶の中の旋律を分解・再構成した結果生み出された旋律について,仮にそれが未だかつて誰も奏でたことのない音階の連続であったとしても,それを「未だかつて誰も奏でたことのない旋律」と呼ぶことは妥当なのだろうか。その再構成が自覚されたものであっても,無自覚なものであっても,である。

そして,記憶から解き放たれた旋律と,記憶によって支えられた旋律と,どちらがより魅力的に響くのだろうか。本質的に言って,独創的であるということは,それ単体でその旋律の価値を担保し得ない。たとえそれが万人に耳慣れない旋律であったとしても,それが結果的に「良く」なければゴミでしかないからである。そしてそのゴミと,かつて誰かによって奏でられたが,依然「良い」旋律とを比較した場合,どちらがよりその価値を認められるのだろうか。ただし,評価という行為は,評価者によってその結果が様々異なるという,この上なく不安定なものである。それでは,誰に対しても独創的かつ魅力的に響く旋律など存在するのだろうか。



もう一点だけ。以下は,旋律についてではなく,演奏に関する話であり,先ほどまでとは明らかに焦点が異なる。

仮にその旋律がかつて誰かによって奏でられていたものであったとしても,その旋律を未だかつて誰も試みなかった方法で表現した場合,その演奏は独創的であると人々に認められるだろうか。

そもそも前提として,我々は演奏のない旋律を聞くことができるのだろうか。音楽家の頭の中でのみ奏でられる旋律も,何らかの方法によって表現されて,はじめて他者にとって経験可能なものとなる。万人に経験可能であるという条件下では,表現の伴わない旋律など存在しないのではないだろうか。

このように,広く音楽という枠組みの中においては,旋律と演奏とは不可分である。故に,音楽的な独創性について語る際,その旋律を如何なる方法によって演奏するか,という問題を考慮する余地は消えることがない。私はそう考える。



独創性とは,かように複雑怪奇な事象に関連する概念であるということを,私は知っている。



以上をまとめる。

1)誰も奏でたことがないという現実的条件
2)記憶からの影響
3)表現方法
4)独創性と価値の相互独立性

大ざっぱに言ってしまうと,私はこの4点を通じて「音楽における独創性」について書いた。なお,この記述そのものについて述べると,誰かがかつて語った内容であるかどうかを確かめておらず,記憶を最大限に活用しており,用いた媒体も文体もありふれたものである。価値については語る事ができない。




以上は長い枕である。そのうちに本題を述べる。本題は研究に関するものであり,具体的には「本当にオリジナルな『誰も手がけていない』研究」に関係するアイデアである。


蛇足ではあるが,枕は枕であるが故に,本題に向けての比喩的な前振りではあれど,本題の内容と完全に合致するものではない。どうかここで私が述べたことを,あらゆる事象に適用可能なものであるなどとは思わないでいただきたい。なにせ,本人にすらそのつもりが無いのだから。

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