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DC戦隊イソガシインジャー 〜熊倉も読んだ〜 : 2006.11.19[Sun]
昨日行ってきた。バカスケジュールの一つ目であるthe Sentai日本ツアーに。
新宿には人があまり居なかった。イメージしていた新宿とは少し異なり,むしろ淀屋橋くらいの感じであった。まぁ当然ではあるが,俺のごとき羽虫が一本道で新宿JAMまで行けるはずもなく,うろとろ迷う。15分ほど歩き回って,ようやく発見し,到着した頃には既に8時半を過ぎた頃であった。
要するに遅刻。そのせいでlostageとextrudersを見逃す。後者については未見だったので,観てみたかったかが,残念。まぁいいや。 ということで,6eyesから。ビール飲みのみ,どんなんかなぁと興味深く観ていた。Voはやっぱりキャラ立ちしている人らしかった。テンションはそれなりに高く,ダンスは滑稽で,観ていて楽しかった。音については,ポピュラリティを意識した曲なんかもあり,割と良かった。まぁ何か目当てのバンドと一緒にでていれば観るよ,くらいの感じか。 何よりも驚いたのは,その盛り上がり具合。名古屋のバンドのはずなのに,まるでホームグラウンドの雰囲気だ。すごいな。と思って観ていたが,どうやら泥酔しているお客が見境無くワーキャーしているようにも見えた。楽しそうだな。良い感じだな。まぁ後になって気づいたのだが,ワーキャーしていたお客は,このバンドのローディか何かだったようだ。大阪でもよく感じた違和感だったが,まぁいいや。 で,Sentai。DCのバンドにしては珍しく,若干演奏的な困難を抱えているように見えた。個々の演奏が下手とかそういうことではなくて,バンドアンサンブルとして。 まぁそれも無理はない。結成してまだ間もないのだろうから,演奏的に熟成しているわけもなく,また,テクノ音楽的な打ち込みは,その場の空気とか,テンポとか,そういったこととは無関係に,設定したとおりのビートを刻む。そのように無機質なリズムと,ギタリスト兼ヴォーカリスト兼打ち込み兼スネアという具合で非常に忙しいハイテンションな男との間に演奏的なズレというか,温度差が出てくるのは致し方ないように思える。多分今後バッチリ決まってくると,もっと良くなるのだろう。例えば,昨日見逃したlostageは特に好きなバンドではないが,熟成された演奏によるバッチリ感と音圧は,さすがに迫力があって良いものである。 で,楽しく踊れたライブも終わり,時間も無かったのだが,sentaiのメムバーと軽〜くおしゃべりする。 忙しい男にリリースの予定について聞くと,来年辺りにフルレングスを出せたら良いが,確かなことではないので,約束はできない,との事であった。そうか。まぁ楽しみにしてるぜ!と伝えたつもりなのだが,ん?何?みたいな顔をされた。 そして元Black Eyesの男と話す。Black Eyesの2ndがフェイバリットで,特に1,2曲目の流れが最高だ,理想的だ,などと伝えると,お〜俺もなんだよ!との事であった。横にいたドラムの山男も俺も俺も!と言っていた。 んなもんで,Black Eyesが解散したときはちょっぴりガッカリしたよ,と,新しいバンドで来日している人間に対して割と失礼っぽいことを言うと,お〜俺もなんだよ!との返答が。そして山男も俺も俺も!と。ループが発生しているようだった。 まぁ解散には色々と事情があったらしいのだが,早口の英語が全く聞き取れなかったので,もう無理だと思い,最後は,まぁそれでもとにかくsentai最高だったぜ!と伝えておいた。この際笑ってごまかせばなんとかなるだろうという自分の浅はかさには目を瞑り,文字通り笑ってごまかしておいた。どうだったのだろうか。 そして新宿JAMを出た。友人からメールが来ていたので,返事を書いた。酔っぱらっており,かつライブ後でテンションもあがり,あまつさえ外人と話した後だったせいか,なぜか友人へのメールを英語で書いた。一通目にはそれに関連した返答をいただけたが,2通目に関しては全く持ってスルーであった。「おうおやすみ」くらいのものである。そのようなメールのやり取りを気にして,後味の悪さを抱えつつあのエクスプレスで帰宅した。 帰りの駅で先輩にばったり出会う。友人の結婚式の2次会終わりだそうな。寒かったので,厚かましくも車で家まで送ってもらおうかとも思ったが,自転車で駅まで来ていたことを思い出し,やめておいた。 そして帰り道,この道中読みふけった熊倉伸宏著「心の探究」について思いめぐらし,エビデンスの持つべき普遍性と,個々のケースが備える個別性について考えた。ただし,ここで言うエビデンスはいわゆるそれであり,この書籍の言うエビデンスとは少し異なるものであった。 個々のケースの持つ個別性は,エビデンスの持つ普遍性と重なり合うものなのかどうか。要は,あるケースにあるエビデンスを適用する事はどのように正当化されるのか。まさかDSM的な思考法なのだろうか。それは少しお粗末な気がする。 結局考えても分からなかった。 ただ,その個別性が,普遍性によって説明されていたか否かは,治療が効いたかどうかという事後的な結果論によってしか判断されないのではないかと思った。しかし,それが臨床における仮説検証というものなのだろうなぁとも思い,さらにcase formulationへの興味が高まった。個別と普遍を繋ぐために,我々はどこまで何をすべきなのか。そこで,なんだ,ナラティブ・ベースドとエビデンス・ベースドは余裕で共存できるじゃないか,と改めて思った。自分がそれを遂行可能であるかは別として,である。ただし,日本的やり方とナラティブ・ベースドは認識論的に違うものであると考えた方が良い,とも思った。それを踏まえ,ロールシャッハについて,思った。
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コメント
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>個別と普遍を繋ぐために,我々はどこまで何をすべきなのか。
小生もこの週末,旅に出てこれについて考えてました。ていうか,先人が考えたことを読んでただうなずいてただけですが。そのうちblogに書きます。