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型にはまる事,俺はお前等とは違うんだと願う事 : 2007.06.09[Sat]

まぁ何がドッキリかって,サイパブさんにご存じなんつって引用してもらうことだよね。テレビで自分の名前が呼ばれたような感覚になるのは,今こうしてブログから離れていて,修論当時ほど脳みそも熱心でない事によるのかもしれない。私読む人,あなた書く人,そういう距離感がふんわか出てきているのだろうな。

それはちょっとイカンというか,つまらん。頑張れ俺。

そもそも,どうして自分がオリジナリティって何でんのんなんて考えるのは,自分がそうありたいからに他ならないからですの。




俺はお前等とは違う。

俺をお前等と一緒にするな。

俺はお前等とは全く違う。



これが自分のモチベーションの基盤ではあるのだけれども,ジタバタジタバタそんなことを叫いてみても虚しい。そろそろ社会的成果って事も考えたい。

だから,俺はこのような有様であるが故にお前等とは違うんだと,もう少し具体的なレベルで叫いてみたい。それはどうすれば叶うのか,実は真剣に考えているのです。

しかしね,そのプロセスの中で自分が選択したのは,お前等に理解される形で俺とお前等との違いを叫ぶっていう方法でした。



社会的に許される形で,俺とお前等とは違うんだと叫ぶ俺。良いんだよ。間違ってない。共有できる形で違いを主張する事は,むしろスマートなやり方じゃないか。そうでもなければ,誰の耳にも届かない。そしたらまた,自分一人の世界でギャーギャー叫いて悦に浸るだけってーお寒い事になること必死なんだから。間違ってない。奇抜なだけにならず,凡庸なだけにもならず,そういうバランス感覚は必要なんだ。そうだ。間違いない。



確かに,ポピュラリティを獲得したラディカルを,俺だって知ってる。それにはもう,手放しで言いたい。あなたは俺とは違う。あぁ,そうか,俺はラディカルでなかったんだな。


俺はお前等とは違うんだというプリミティブな心持ちを,お前等にも理解可能で共有可能な型にはめて表現する。そのやり方は良い。だけど,お前等に理解可能で共有可能な型にはまることは,あまりにも安心で居心地が良かった。そのうちに,心の底では俺とお前等は違うなんて,思わなくなってくる。おかしいぞ。そういえば,発想自体がそもそも理解可能で共有可能で社会的に許容されるところからしか出てこなくなっているじゃないか。アフォーダンスはどっか行ったんだな。だけどあれをあのまま考え続けて,だれもが経験可能な形に表現することなんて可能だったんか?天才とは乗り越えることであるなんて,心に突き刺さる言葉を言わないでおくれ。




良く聞けよ。俺はお前等とは違う。だけど俺は自分の話をお前等に理解されたい。だけど言っておく。俺はお前等とは違うからな。そのことも俺はお前等に理解されたいんだ。



うん。なんか,ダサイね。





といったところで,ユーモアもなく今日はおしまい。
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[49]【故きを温ねて】過去偉大な人物はすべからくオリジナリティを備えていた【新しきを知る】

グレン・グールド『ゴールドベルク変奏曲(1981)』をテーマ曲に,オリジナル考。濱田秀伯『精神症候学』,内海健『精神科臨床とは何か―日々新たなる経験のために』など .....続きを読む

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アフォーダンスアフォーダンス(affordance)とは、空間において、物と生体との間に出来する相互補完的な事態のこと。アメリカ合衆国|アメリカの知覚心理学者ジェームズ・ギブソンによる造語で、生態光学、生態心理学の基底的概念である。.wikilis{font-size:10px;color:#66 .....続きを読む
2007.08.09[Thu] // 発信元[心理学を考えよう] // Top

コメント

[457]どもです

psy-pubです。

どうも恐縮です。いきなり引用しちゃいまして&返エントリしてもらいまして。

まあテメエのことをいえば,自分では何も生み出さず,東に天才の力作あれば行ってあなたは天才だと云い,西にに秀才の労作あれば行ってこれは労作だと云い,南に凡才の凡作あれば行ってこれは凡作だと云い,北に非才の駄作あれば行って怖がらなくてもいいと云い,なんつうか,限りなくナンセンスな営為を繰り広げとるわけでして,ね。臍でブンブク茶釜なんでありんすよ。

それはさておき,型とか枠とか,そういう話,好きなわけですが,型破りっつうのは型の本質を理解してないと,創造的な型破りにはならない,と思うわけで,ま,そんなの先刻ご承知だと思うのですが,前衛主義=伝統主義,というのはそういうことだろうと思います。あるいは前衛=作為的とも。

個人的には,アウトサイダー・アートには少し否定的な気持ちもありまして,ピカソなんか(というかそれくらいしか知りませんが)が表現した(われわれにも了解可能な形で示される)ある種の崩壊感,というのは,原初的な衝動のみでは決して生まれ得ないと思いますしね。

天才って,イメージ的には,レールに乗らない,ルールに縛られない,みたいなのがありますが,それって本当は,ルールの本質を見て取る,その批評精神なんじゃないかと最近は思っているのです。

戯言,シッケイであります!
2007.06.11[Mon] // 投稿者[psy-pub] // 編集 // Top

コメント

[458]

いらっしゃいまし〜。コメントありがとうございます。

枠を外れたりするには,当然枠の事を詳しく知っておかないといけなくて,そうでなければ,巨人の肩の上に乗ってることすら気づけず,周囲からはクスクスと嘲笑を受けながらも本人だけはご満悦なんて状況に陥ることが目に見えます。

と,いくら立派にオリジナルだ独創的だ革命だ爆発だと言ってみても,やはりそこは天才でも秀才でもなんでもない極めて未熟な院生風情でありますから,自分に目を向けてみると,そこには迷いやら戸惑いやら自己愛やら勘違いやら初期衝動やら反発心やらが渦巻いていて,まだまだ居場所が定まらないのです。というか,定めたと思ったらもう次の日にはそれを疑ったりとか。完全にMo' Suck中なんですよねぇ。

アウトサイダーアートは,俺ってば超アートで超越しまくりんぐみたいな感じを全面に押し出す割に,中身が陳腐だったりしがちで,やぱ嫌いです。理解されない事を自分の創造性の低迷に帰属せず,「これを分からないなんて大衆は屑w」みたいなね。もう良いよと。

ポピュラリティに真摯に向き合う事によって結果的にアウトサイダーになったんだよ的な事が覗えるのであれば,胸も打たれるんですがね。と,人の事はなんぼでも言えてしまう…。

あああまどろっこしい!要は,out of stepなはぐれ者アティチュードを保ちたいのですよ。研究思春期なんですよ。それがいくら中2病的なものであっても,僕はそれを中2病という言葉で括られたくない!お前等の中2病と俺のこれは全然違う!とかって。

そんなこんなで。
2007.06.12[Tue] // 投稿者[deco] // 編集 // Top

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