研究者の喜びは,きっと世界に何かを残す

「面白いだけで研究するのはどうなのか」って事について,いくらか反応がありました。で,某所へのコメントとしてこれを書いてたら,なんか面白くなってきて,しかも長くなってきたので,こちらに書くことにしました。

もう,考えすぎて話の出所さえ不明になってきている今日このごろなんですけど,あれって僕が直接言われた事ではないんですね。仲間から聞いた話で。なので,それを言った人の真意なんて分からない。結局僕が書いているのは,仮想敵に対する僕の考えですから,まぁ話半分に聞いてもらえたら良いです。

僕は基礎研究を擁護したくてあの話を書いたわけでは,全くないんですよね。社会の役に立たない研究でも良いじゃないか,と言いたいわけでは全然ない。そういう基礎×応用・工学みたいな文脈ではなくて,研究のモチベーションなんて何でも良いやんけ,っていうめっちゃ個人的な文脈での話なんですよ。基礎だろうが工学だろうが応用だろうが,自分が面白いと感じている事は,同じく尊いと思いますしね。別に基礎研究に特有の話では全くない。

テーマへのこだわりがあるからこそ,深くその問題を突き詰め掘り下げる事ができて,その結果ちょっと変わった話が出てくる可能性が高くなるんじゃあないかと思うんですよ。もちろんオリジナリティだけが評価軸なワケではありませんから,それが無くてもそれはそれで良いんですけど,僕個人はそれを中心に据えたい。だからとにかくこだわりたい。その方がオモロイから。それに,そういうちょっと変わった話が,変わった話じゃなくなるときに,新しい世界が切り開かれたと言えるんじゃないか,とも信じてます。

とはいえ,やっぱりそこまでやるのは結構大変な作業やから,喜びという燃料はそれなりに必要で,なんの喜びも得られないのなら,そこまでこだわらんでも良いやんけとなってもしょうがない。みんながそうなったら,一体全体科学はどうなると思うんや?と聞きたいんですよ。みんながある程度でこなし始めたら,科学の未来はどうなると思てはりますか?って。

得られる喜びは様々でしょうが,「自分が面白いと感じている」というのもその一つに数えられるわけでしょう。一方では「これが社会に役に立つ!」というのも面白みだし喜びの一つではある。もちろん。結局燃料は何でも良いと思うんです。何らかの喜びがあるのなら,それはホントに大切にしていこうぜと思うので,それを否定する物言いに,僕は全く賛成できないんですよ。

研究者の喜びは,長い目で見るときっと社会に何かを残す。もう,完全に個人的な思想のレベルなんですけど,そう思ってます。心から。

じゃあ,それでどうやって飯を食っていくのかってのは,研究者というか,社会人としても考えて当たり前の事ですから,全然研究者に特有の話では無い。そんな事は考えて当たり前です。むしろ,研究者なら研究者に特有の事柄をまず考えれば良いのとちゃいますか?と言いたい。それは知的好奇心でも良いし,社会貢献でも良いんですよ。何でも良いんです。ほんとに。

ただ飯が食いたいだけなんだったら,別に研究者じゃなくても,どんなアイデンティティでもええんちゃうの?研究者だって,喜びと生活の狭間でウジウジと葛藤したら良い。この葛藤は,非常に高級なものやと思いますよ。個々人の人生の深いところにまで関わってくる葛藤なんだから。それにね,自分が面白いと感じていなくても,やりたいとは全く思えなくても,やらねばならない研究だってあるんだから。研究者としてのアイデンティティを持ったまま,そういう立場に置かれてる人だって山のようにいるわけなんだから。加えてね,研究以外の事でだって,やらねばならない事は山ほどあるわけなんだ。世の中見渡して,純粋な意味での「研究者」なんていう職業,ありますか?だからね,そんなもん,そのように葛藤できる余地があるのなら,十分に葛藤したら良いと思うわけ。そんな幸福な立場にある人間がね,初めから物わかりよくなる必要なんてどこにあるんですか。

研究に足りないところなんて,それこそ偏執的なこだわりによって,見つけ出していく事ができるかもしれない。それに,そんなもんは人が見つけてくれるかもしれない。研究は一種のコミュニケーションでもあるんだから。コミュニケーションにおいて,おもんない話なんて長々と聞いてられないんですよ。同じネタでもねぇ,そのネタの面白みを知ってる人が話す方が面白いわけなので,「あなたの面白いと感じている事を教えて欲しい」となるんです。つまり,「自分が面白いと感じている」という事はね,相手に面白がってもらうのに役立つわけでしょう。そういう意味でも,どんどん自分だけの面白みを見つけたら良いと思うし,人から面白みを教えてもらえば良いと思う。それで,もっと面白くなるように工夫したら良いんです。

10年後,20年後に,自分が同じ事を考えているかは全く分からない。だけども僕は近眼ですから,そんなもんは知ったことではないんです。中2病とかなんとか言ってね,その時々の自分の真剣さを,茶化してしまう必要なんてあらへんのですよ。これはまぁ,ちょっと話が違いますけど。とにかくね,状況がそれを許すのであれば,そしてやりたいことが分かっているのであれば,それをやれば良いじゃあないですか。それ以外に,他にやること,ありますか?実際にそれをやれるかどうかは別として,それをやろうと決めることくらい,誰にだってできるわけなんだ。あなたは現に生きていて,やりたいことをやるという,この上ないチャンスを,ちゃんと手にしているんだから。

Comment

新規性と有効性のない研究は時間の無駄です
個人で研究費を賄えるのであれば、面白いだけでいいと思いますが
  • 2009/03/26 14:26
  • 友人
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自分が楽しいだけで,他に何の役にも立たない&何ら新しくない研究を,人の金で行う。ただそれだけで終わりってんなら,仰る通り。それはスネかじりの趣味という。ただし,有効性というのは,その分野にもよると思うし,その人が何を求められているかにもよると思う。で,その2つがあればさらに面白い事になるよね。

研究を生業とするなら,成果については考えて至極当然なわけなので,殊更僕が青筋立てて主張する程の事ではないです。そこらへんは君の方が良く知っていると思う。

単にそういう営みにおいても,面白みというのは種々の実益があるんだと言いたいだけなんだよね。このネタをどう料理すれば新しくなって,あわよくば世間の役に立てられるだろうか。それを突き詰めていく土台としての面白みもあるだろうし,それを突き詰めていく事の面白みもあるだろうし,その結果として生まれてくる面白みもあると思うよ。「自分が面白いと感じている」というのは,審美眼とか目安のようなもんやと思うから,俺は個人個人が大事にしたら良いと思ってる。

自分が是非ともやりたいネタなら,計画の見直しでもプレゼンでもなんでも,必死こいてやれるでしょうに。それに素直に従えるか,その通り実現できるかってのが,有効性や新規性の関わってくる,現実的な悩み所なだけでさ。で,最初に戻るけど,そんな研究者の必死さってのが,人類全体に寄与しうるんじゃあないかと思うわけ。
  • 2009/03/26 16:27
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言いたいことがやっとわかったわ

今思うことは、基礎研究は楽しかった
でも、あんなことしてサラリーが発生するのは、詐欺に近いと思う
だから、今のうちに基礎研究にハゲんどけ
  • 2009/03/27 12:53
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