こんなに疲れるものをやるのならば

勤務先にWAIS-IIIが導入されたので,実施前に受けてみた。どんな検査でも,身につける前に自分が被験者になるのが良いというのもあるし,単純に自分のパフォーマンスがどんなもんか知りたい気持ちもあったからだ。ということで,ガチで取り組んだ。とはいえ,WAIS-Rと被ってる内容も多かったので,それはそれとして,なんだけども。

で,感想。前に少しだけ触れた際に書いたとおり,受けるのが非常に過酷な検査だった。あんなしんどいもんを,メジャーでフラフラかつ寝起きな御方に実施するなんてのは,悪魔の所業だと思えなくもない。こんなもんを実施するくらいなんだから,受けた人が相当の利益を得られるように,我々はベストを尽くさねばならん。検査を受ける人々は,こちらのお勉強のためにそこに居るわけではないのだから。

ちなみに,2時間かかっても全ては終わらず,まだあと30分くらいはかかりそう。これまでのところを見ると,意外に動作性が高そうなのだけど,一方で符号が死ぬほど落ちまくっているのが衝撃的だった。思わず,いやぁ寝起きだからさぁ,などと言い訳したくなったほどだ。


んで以下,検査に関する雑談。

どんな検査でもそうだけど,数字だけで解釈を云々しようとするのは専門家として根本的に誤っている。それが人格検査であろうが,知能検査であろうが,神経心理検査であろうが,我々が見るべきはパフォーマンスそのものだ。数字というのは非常に多義的かつ抽象的なものなので,観察された具体的なパフォーマンスが有する情報量と比べて,それが有する情報量は常に少なく,そして不明確だ。これは,現象が常に理論よりも豊かな情報量を持っているというのと,ほとんど同じことだと思って良い(と思う)。

まぁそこから解釈上の作業仮説を捻り出すことは可能だし,全く数字を無視した解釈というのも自分勝手なものになりがちで,もう少し言うとその数字自体が必要とされる状況も多々あるわけだから,それを全く否定してしまうつもりは毛頭ありまへん。しかし,こんだけしんどい検査に見合うベネフィットを提供するには,パフォーマンスを見て見て見倒して,背景となるプロセスを推測し倒して,それを検証し倒して,資源となる機能を見つけ倒して,可能な援助に思いめぐらし倒して,さらに可能な場合はフィードバックセッションの準備をし倒すくらいのことは,やってて当たり前だ(と思う)。

「検査取れるようになりたいんです~」と言うとき,その人は何を想定しているだろうか。単に実施して,通り一遍な解釈ができれば,それでOKだと思ってはいないだろうか。言うまでもなく,それは全くガキの使いに過ぎなくて,方法と目的を混同しているとしか思えない。検査は単に方法に過ぎなくて,それは非常に便利な代物なのだけど,それを実施することは目的とはなり得ない(と思う)。じゃあ何が目的になるのかってのは,もう言うまでもなく査定であり,さらに言うと援助だ。だから,「検査取れるようになりたいんです~」の代わりにこれくらいは言って欲しい。「検査を通じて,査定を基本から学びたいんです~」とか。


今日は何だか偉そうな事を書いた。ブログで臨床の事を書くのはあんまり好きじゃないのだ。というか,我々の仕事のどこに説得力が生まれるかというと,それは何千と並べられた言葉の羅列にではなくて,1つ1つの臨床的な行為にだと思うから,あんまり臨床について大事吹くのは好きではない。なんぼ立派な事を吹いてみても,それに実が伴っている保証などどこにも無いし,全然立派じゃない事を書き散らかしてみても,実際に力量が足りていない保証なんぞ,どこにも無いのだ。あなたのスーパーバイザーは,その壇上で語る老人は,本当に腕の良い臨床家なんかいな。あなたがくさす若者は,本当に腕の無い臨床家なんかいな。そしてそれを言うあなたは,一体どんな臨床をやっとるんだろうか。


俺にはそれが,分からないのだ。

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