その過程に,その巡り合わせに,意味を感じている

ここ2日ほど,久々な人々と時間を共にすることができた。

不思議なもので,その内には連絡したいなぁとか,その内には食事でも行きたいなぁとか,最近連絡こねえなぁと思っていた人々と,なんだか良く分からない巡り合わせで繋がる繋がる。なんとも良い時間を過ごすことができた。無理に連絡を取ろうとしなくても,いつしか勝手にそうなっていくのだなと思った。

今週末に他大との臨床合宿があって,そのカンファレンスにケースを提供することになった。当初学内ケースでと思っていたのだが,どうにもこうにも,クリニックでお会いしていたクライエントの事が頭から離れず,そっちを発表することにした。行動療法を通じた,面接過程。方法の力ももちろんあったように思うけれど,それ以上に治療関係がキーになっていたように思う,とても印象深いケースだ。資料作成に当たって,改めてこれまでの過程を見直してみると,なんだかしみじみしてしまう。で,その辺に居る院生達に,しみじみを伝えて歩いてしまう。


ところで,「認知行動療法(or something)に興味があります」なんて言葉を良く聞くのだけど,そういうもんでもないんじゃないか。結局の所,それは方法に過ぎないのだから。方法として,本当によくデザインされた方法だとは思うし,ケースによっては導入したり,それ関係の極秘業務もあったりするのだけど,やればやるほど,知れば知るほど,治療関係とか面接過程そのものこそが根本なんじゃあないかと強く思う。コラムなり曝露なり,なんでも良いんだけど,そこに意味が伴うか否かが,成否を分ける要因のような気もしたりする。そういう事に,最初に気付かせてくれたケース。


いつかどこかで発表したいと思っていたところに,自然と機会が得られたり。しかも自然と合宿後にそのケースのSVerと会うことになったり。これもまた不思議な巡り合わせだ。そういう何だか良く分からない流れに乗っかって,良い週末を過ごせたら良いなと思う。

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