それはマトリョーシカだったのだ

ワークショップについて。


Experimental PsychopPathological Clinical Psychologyという,方法と対象と目的を明示する名称。「ル」が多くて語呂は良くないけど,格好良い。

好き勝手やる話題提供者と,ディスカッションに統一的な視点を与える指定討論者。なんとも有難く,同時に「してやられた」感じも抱いたり。

うちら臨床心理学者にとっての「ブラックボックスを開けることの価値」は,詰まるところ「見た目同じに見える問題でも,中身が違っている場合があるから,その中身を細かく知ることで,やれる事が変わってくる」ってこととか,「中身に合わせてやり方を工夫したり作ったりできる」ってことなんだと思う。



そしてややヒットしたブラックボックス・マトリョーシカ説。問おうと思えば無限に「なぜ」と問う事が可能だ。それに応じて,論点はどんどんミクロになったり,マクロになったり,結果,複雑になっていったりするだろう。しかし理論は経済的な方が良いに決まってる。つまり問題は,マトリョーシカの最適サイズ。我々はどこまでマトリョーシカを取り出していけば良いのか。


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誰にとっても最適なサイズのマトリョーシカなんて,きっと無い。最適サイズを決めるのは,結局のところ研究目的以外には無いだろう。うちら臨床心理学者の研究目的は「臨床に役立てること」だ。そこから最適サイズを導けば良い。そうなると,あまりにもサイズの違うマトリョーシカを求める研究者同士の話は,噛み合わないかもしれないし,そこに実益があるのか,ちょっと分からなくなる。「臨床ではそこまで細かく分けて考えないですからね」というのは,真実の伝達であると同時に,拒絶の意思表明でもあるんだろう。



一個手前のマトリョーシカも,その便利さには折り紙付きだったりもする。こちらの場合は人格理論。人格を「情報処理システムならびに感情システムの総体が生じさせる,行動の傾向性」などと定義する事と,人格をクラシックな意味で定義する事とは,余裕で両立可能だ。前者を好む俺でさえ,後者の「理解・予測・制御」の力は信頼しているし,それは信頼に値するものだとも思う。



1人の研究者が意識できるのは,せいぜい専門±1マトリョーシカくらいだろうから,みんなで役割分担したら,分厚い知の体系ができあがる?それってば,できそうで難しそうな話。研究者は差異を強調するのが当たり前なわけで,「知の補完計画」なんてまっぴらゴメン,「お前なんかと一つになれるか」ってのも無理のない話だ。構造構成主義の事が頭をかすめる。でも俺はその船に乗り込みたくない。
理由はまぁ,説明不足にしておくけれど。



フロアの発想と,自分の発想とがほとんど違わない。特定の対象と特定のアプローチを手にすれば,思いつくことはさほど違わない。結局,アプローチは方法であるが故に,天才でなくても利用可能なわけで,問題はそれを使おうと必死こけるかどうか,なんだろう。研究者の必死さは,きっと世界に何かを残す。その信条は,この先も変わらないと思う。そろそろ自覚しよう。俺は既に研究者である,という事を。



片思いの表明と,愛の告白としてのプレゼンテーションwith漫談メソッド。「若手→立って必死こいて話す。中堅→立って落ち着いて話す。ベテラン→座って落ち着いて話す。」というコントラストに感じるところあり。あの侘びた姿には,憧れざるを得ない。ちなみに,面白おかしく話すのは,ふざけているからではありません。オモンナイ話を長々聴くほど,人は人に興味を持っていないと思っているからです。面接も,講義も,そしてプレゼンテーションすら,関係を通じて行われるものであるとも思っているからです。

思いは伝わると信じていたら,実際,伝わったように感じられた。その場でも話した事ではあるが,「この30分を経て,少しでも,何か変化が生じたのであれば,望外の幸せにございます」。片思いが成就したか/するかは分からんけれど,思い描いてきた未来に居る,ということだけは確かだ。しかし,フロアの発言に感無量&言葉を失う瞬間があった。お返しできる話が,あったにも関わらず。話題提供者としては情緒的になり過ぎた。これは反省点。

「あの人に聴いてもらいたい,あの人に観てもらいたい」という望みの全てが叶ったわけではなかったけれど,まだまだ何も終わってはいないのだから,「君」に聴いて/観てもらうという望みを諦めるつもりなど,毛頭ありません。





さー,これからどうしましょうねぇ。>先生方

Comment

ほんと話うまいよな。
WSで明示的に「愛を語る」人はそうはいるまい。


「マトリョーシカの最適サイズ」と
「専門±1マトリョーシカ」は
名言としてもらっておくよ。
その話を,あの場でできるとよかったな。

おいら,-1くらいでしゃべったことになっていたらうれしいんだけど。
「-1」あたりを最適としている人々をどう呼び込むかというのが,見えてきた課題なんじゃないかと。


片思いの表明,愛の告白は
常にうまくいくとは限らないけれどしかし,
言ってみないと始まらないし,
未来は作り出すものだから。

だよね?


落ち着き払っていたように見えるらしいが,
フロアの発言のあたりから記憶が明確でなかったりして...
トシですね(中堅,ですから)。
また話そう。









  • 2009/08/31 16:37
  • m0ch1
  • URL
このエントリは喫茶店話が中心ですから,これをその場で話せたらと,僕も思います。さっき彼とは次回の話を少ししましたが,話す場はこれから作っていくことができるのでしょう。またよろしくお願いします。


さて,僕は意外と「愛の人」なのかもしれません。


我がプレゼン技術の基礎は,先生の物真似なんですけどね。機能性を重視して,それに自分なりの工夫を加えるうち,いつしか漫談スタイルになっていました。


何かの目的を果たすための,方略的な学際性が役に立つんだと思いました。-1を引き込むことは,それに特に役立つように思います。±2~3マトリョーシカまで目配せしてたら,おしゃべりの引き出しは増えそうですけどね。


「片思いの表明,愛の告白」について先生と話をするのは,これが何度目でしょうね(笑)。言ってみないと始まらないし,当然終わることもできない。だから,せめて後悔のない人生を送るために,それを伝えてみようと思うのです。


こちらの落ち着きの無さに比べれば,もう動かざる事山のごとしでした。侘びているなぁと思いました。



またお話に上がります。
  • 2009/09/02 18:46
  • URL
いつになく説明しすぎなところがあるんじゃないだろうか(笑)

> 侘びているなぁ
土地柄でしょうか。観光の成果でしょうか。
  • 2009/09/02 20:12
  • m0ch1
  • URL
それはきっと秋だからでしょう(笑)。


マンガ「へうげもの」によるお勉強の成果ですね。
  • 2009/09/03 00:07
  • URL
まさか翌日に熱きエントリがなされていたとは。
face-to-faceが可能な環境とはいえ一部にポチポチ

知の補完計画云々のあたりにはやや異論を持ちつつも、
研究目的が最適サイズを決めるあたりには激しく同意。

みんなで役割分担っていうよりも、
異種格闘技戦というか互いの立場のままでヤンヤヤンヤできたらいいんかなぁとは思うんよ。
「あなたのやっているアレは僕の言うところのコレ…つまりあなたと私はおんなじね☆パシャ」
とLCLになるのはつまりません。

それはとても気持ちのいいこと、ではない。

俺の視点からだとA。
アテシの視点からだとB。
オイドンの視点からだとC。
と個がトゲトゲしながら集まると、
Acとか、aBとか、そんな深みのある研究仮説/治療方針ができんかなぁとは思っている。

何となくyouが当たり前にやっている『いろんな分野の先行研究を合わせる』というのと
同じイメージなんだけどね。


…しかし貴様のプレゼンには参った。
喰われたどころか無かったことになってないか、
会場ではそんな不安に駆られていましたぜ。

またたくらみたいですなー、ですよー?
心理で臨床な学会とかで、基礎-それに近い介入の1セットとか、やってみたひ。
そんな妄想を竹林で団子をかじりながら思っていたり。

またベランダで。
  • 2009/09/08 22:26
  • URL
補完計画云々。きっと,考えてることはあんまり違わんよ。こちらの胸の内は,さっきエントリにしてみた。

具体的な@と,抽象的な凸。WSの副題決めるプロセスでもそんな事を思ったけんど,出来上がったエントリ読むと,改めてそうオモタ。


その場ではプレゼンが効くけど,その場を離れればコンテンツがジワジワ効いてきますね。その後の反響についてはただただ嫉妬!
  • 2009/09/10 01:29
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