Different names for the same thing




一つの現象について,我々は無限に名前を用意することができる。故に,それを異なる名前で呼ぶ者同士であっても,我々の対話の可能性は,その「一つの現象」そのものが担保してくれる。それは,暗闇を1人で歩かざるを得ない我々にとっての,大いなる救いだ。


Different names for the same thing.


しかし,我々は無為に様々な名前を生み出してきたのではなく,それぞれがそれぞれに,已むに已まれずそれを生み出してきたのだ。即ち,思いがあり,夢があり,理由があり,根拠があり,必然性があり,目的があり,実益があり,主張があるが故に,我々は我々自身を分かつ事を求め,様々な名前を生み出してきたのだ。それが,対立を生み,無関心を生み,葛藤を生むということを覚悟の上で,我々は我々を分かつことを選択し,その報酬として,対話の可能性を手にしたのだ。


もし仮に,それが我々の手に無かったとしたら。もし仮に,「一つの現象」の下に全てが一つだったとしたら,我々は世界に関する唯一絶対の知を得る代わりに,「多層的な知」という無限の可能性には気付きもしなかっただろう。もし我々が,大いなる絶対知を手に入れたとしても,世界はそれを取るに足らないものとして,世界そのものが包含する多層性を満々と湛え,ただそこにあるだけだったろう。


もし仮に,我々が「一つの現象」の下に一つだったとしたら,そこには既に対話の必然性が存在しない故,我々は一つになる代わりに,対話し,葛藤し,時に手を取り合うべき他者を失っていただろう。そこに葛藤する熱情はなく,愛し合う喜びもない。我々が,我々自身の言葉によって,我々自身を定義し,我々自身を主張し,我々自身を他者に理解せしめんとする事など,全く不要だったのだ。



しかし,我々の手には確かにそれがある。故に,「一つの現象」の元に,全てを一つにしてしまうことなど,できない。全てを一つにしてしまう代わりに,それを無に帰することなど,できようはずがないのだ。

私には私の思いがあり,夢があり,理由があり,根拠があり,必然性があり,目的があり,実益があり,主張がある。あなたにはあなたの思いがあり,夢があり,理由があり,根拠があり,必然性があり,目的があり,実益があり,主張がある。それ故,自ずから私とあなたは対話し,対立し,葛藤し,無視し合う。

そんな我々にとって,互いに手を取り合うという選択をする事に,アプリオリな必然性など微塵もない。我々は我々の言葉で世界を名付け,それぞれがそれぞれの道を行く事をこそ,至上の行動原則とするべきだ。それこそが,この世界がただ満々と湛える多層性を,我々の網膜に到達せしめるものなのだから。



私とあなたが手を取り合えるとしたら,私がそれを持っていて,あなたもそれを持っているからだ。私とあなたが手を取り合うからといって,私はそれを捨てないし,あなたもそれを捨てることはない。私とあなたが手を取り合ったとしても,私とあなたが「一つの現象」の下に一つになることはない。それでも尚,私があなたの「名前」を知ることで,あなたが私の「名前」を知ることで,それぞれの暗夜行路に光が差すのだとしたら,それはもう,「望外の幸せにございます」。



Different names for the same thing.

我々は当事者として,メタメタしい傍観者とは無関係に,それを声高く叫ぶのだ。

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そんなことよりも,

ビデオの女の子が可愛すぎる件について,どのように思われるか。
  • 2009/09/10 02:00
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