マニュアルより工夫だし,道徳より損得だろjk

色んな療法がパッケージ化されて,色んなマニュアルが出版されて,色んなツールが開発されて,油断するとそれらが勝手に治してくれそうな気がしてくる…けれども,やっぱり勝手には治してくれない。

が,パッケージやマニュアルやツールは必要だ。役に立つ。何をするにも,型を知ることは絶対的に必要だし,役に立つ。しかし,それだけはまったく十分でない。何に十分でないかと言うと,実践において実益を得るに十分でない。「マニュアル通りにやりました」でも「マニュアル通りの結果は得られませんでした」。それはアホのする事だ。

モデルは簡潔だが,人間は複雑だ。マニュアルは静的だが,治療過程は動的だ。簡潔で静的な視点から,複雑で動的なものを見る際に,失われる情報量の多さを知るべきだ。観るべきものは模型か,それとも人間か。絶対的に後者だ,と思う。決して道徳的な観点からではなくて,単にその方が役に立つからだ。できることなら,道徳よりも,損得で動きたいものだ。「共感的理解」も「無条件の肯定的関心」も「自己一致」も,道徳の世界のお話にしちゃいけない。それをするのに得が無いのなら,そうする必要なんてどこにもない。臨床家が真剣に道徳を語り始めたら,もうダメだと思う。んでも,そこに得があるのなら,道徳すらツールになりうるだろうけど。

「マニュアル通りにやったのに,マニュアル通りの結果が得られない」なんていう馬鹿をやらないためには,絶対的に査定が必要だ。もち,査定とはツールに非ず。ツールは査定のための戦術だ。査定のためには,知識と技術が必要だ。それを身につけるには,コツコツと日々励むしかない。漫然と過ごす10年と,何かを考えながら過ごす10年とでは,出来上がりが随分違うらしい。だから,考えながら,コツコツと日々励むのが役に立つんじゃないかと思う。

査定ができたなら,方針が立てられる。何か果たしうる目標があるのなら,それに向かうための戦略が必要だ。そして戦略を実現する個々の戦術が必要だ。そしてもちろん実行部隊は,軍曹曰くの「よく訓練されたベトコン」の方が良い。実行部隊は与えられた任務を遂行するために,創意工夫を凝らす必要があるからだ。「命令通りにやりました。で,負けました」なんてやり方では,赤い彗星とか青い巨星とか,そこまでとは言わないまでも,何かの成果を得るにはずっとずっと遠い。

パッケージとかツールは,戦術レベルの事柄だ。選択される物に過ぎない。それに意志はないし,それは治療しない。治療のために用いられるだけだ。プライオリティは,方針の方にある。目標の方にある。果たされるべきは,絶対的にそちらの方であり,マニュアルの方ではない。ただし,マニュアルベースでというときに,それが戦略的観点から決定されたものであれば,話は別だ。戦略的マクドナルド主義。そういうのもあり得る。多分。


静的で簡潔なものを,複雑で動的なものに適用する際には,一ひねりが必要だ。人間は多様だ。だから同じやり方では効率が悪い。むしろそれぞれに合わせたやり方が役に立つ。そこで,工夫が必要になる。でも,何も無いところから工夫するのでは無手勝流だ。そこで型が生きてくる。とは言えそもそも,コラムもワークも何でもかんでも,偉い人が目標を達成する上で,色々工夫した結果生まれた代物なんだと思う。神経症治療のために転移神経症を起こさせて,それを解消する,というのも,工夫の一つだ。

偉い人は工夫した結果を教えてくれる。だからつい,それだけを真似てしまいそうになる。できるならば,その工夫する柔らか脳みそを真似たいところだ。どんなに優れたツールでも,そこから益を得るためには,それをうまいこと使わないといけない。相手の体験に合うように,相手の枠組みに合うように,相手の動機付けに合うように,チマチマと工夫せんならん。言葉一つにも,工夫を凝らしたい。ポール・L・ワクテルのように。だから,普段から引き出しには色んな物を入れていく努力をするのが役に立つ。


繰り返しになるけれど,ツールやパッケージを役立てるには,工夫が必要だ。工夫をするためには,方針が必要だ。原則が必要だ。グランドヴィジョンが必要だ。どんなやり方でも,こっちに向かえば目標地点に行けそうだという,見通しが必要だ。それらを持つためには,絶対的に査定が必要だ。査定のためには知識と技術が必要で,それを獲得するには日々何かを考えながら励むほか無い。

臨床家は治療関係を重視するが,それは道徳的観点からではなくて,それが治療上,とても役に立つことを知っているからだ。暖かい関係を築くこともまた,選択される戦術の一つに過ぎない。共感とか肯定的関心を金科玉条としてはダメだ。するとしても,戦略的にそうするべきだ。戦略的共感金科玉条主義ってのもあり得る。多分。「言われたとおり共感的にやりました。でも何も変わりませんでした」と,「マニュアル通りにやりました。マニュアル通りの結果は得られませんでした」とは,根本的に言って全く同じアホだ。道徳は思考を停止させるから,損得勘定は絶対的に必要だと思う。



で,工夫の素晴らしさを教えてくれる本の一例。

4805819758こうすればうまくいくADHDをもつ子の学校生活
Linda J. Pfiffner
中央法規出版 2000-09

by G-Tools


この本の通りやっても不十分。真似るべきは,工夫する心意気。その点でこの本は優れてる。

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