なぜと問うマトリョーシカ ~ 科学的説明のマトリョーシカ・アナロジー ~

マトリョーシカ


 先日,twitter上でおっぱいに関する議論が盛り上がりまして,まさに「バズった!」という表現がピッタリなんだかどうなんだかは分かりませんが,大変面白い議論でありました。この内容はサイパブさんが「おっぱいの心理学」というタイトルでまとめてくれていますので,興味のある方はぜひご覧ください。

 togetter - おっぱいの心理学

 ここで初出というわけでは全くないのですが,これ絡みのTL上にマトリョーシカの文字が散見されました。僕が筑波大学の望月先生・大島先生と数年続けているワークショップにて,マトリョーシカを用いた科学的説明のアナロジーが提案されたんですね。そして各々が時々twitterやブログでこれに言及してきたところ,覚えてくださる方々が増えてきました。ありがたい話です。

 しかし,実際にどのような考えなのか,詳しく明らかにしたことはありませんでしたから,良い機会だろうということでちょっと書いてみようかなと思います。まだ一回もきちんとまとめて書いたことが無いので,どうなるかはわかりませんが,考え中のアナロジーだということで,生暖かく見ていただけたら幸いです。


 では,少しずつ行ってみましょう。
◯同じ現象に,違う名前
 
 僕は心理学の研究者でして,人間を対象とした研究を行なっています。人間を対象とした研究分野というのは,本当にたくさんありますね。神経科学も行動遺伝学も臨床心理学も文化人類学も…もう数え上げるとキリがないくらいに,たくさんあります。

 分野ごとに,使う方法や言葉は全く異なりますが,人間そのものはそんなに変わりません。観点によって人間の見え方が違うというのは当たり前ですが,ヒトという種もしくは生物自体は同じものとして共有されています。
 従って,人間に関する単一の現象を,異なる研究分野が対象としているなんてことも稀ではありません。精神疾患1つ取ってみても,神経伝達物質から文化まで,色んな切り口で語られているというのは,みなさんもご存知の通りかと思います。

 私たちは,人間に関する同じ現象を対象としながら,それに違う名前を付けて,取り扱っているわけですね。世界はそもそも,色んな見方を許容するようにできているようです。そんな中で,各自が自分の興味に従って見方を選択し,好き勝手に見ている。僕は,そういう有り様が大好きです。


◯科学的な説明とブラックボックス

 さて,科学的な真理というものは存在するかと聞かれると,「分からない」としか答えようがありません。理論の優劣は,それが科学的な真理を捉えているか否かよりも,むしろ「どれだけうまく現象を説明できるか」というところで決まったりします。

 モデルという方法論はまさにそれです。大抵の場合は「こういうのが存在しますよ」ということを言うために考えられるのではなくて,むしろ「この現象のメカニズムを抽象化するとこのような形であり,これを通して考えると現象がよく理解できますよ」という,一つの説明に過ぎないわけです。そして,そのモデルによる予測を支持するデータが得られれば,そのモデルの妥当性は高まっていくわけです。

 モデルには様々な仮定が含まれていますし,観察することも簡単でないような仮説構成体で埋め尽くされていることもしばしばです。そうしたものは将来何らかの方法論的発展によって発見される可能性が無いわけではないが,現段階ではブラックボックスですね。そして,実際に目の前にあるデータを説明する際に,それを仮定するとよく説明が付くからという理由で,それらは採用されている。

ブラックボックス


 科学的理論の役割は「理解・説明・制御」であるといいますから,科学そのものの役割を考える上でも,説明という行為を除いて考えることはできません。そして,何らかの現象に対して科学的説明を加えようという時,従来までブラックボックス扱いだった部分を,新たな方法論や認識論に基づいたやり方で検討する。つまり,そのブラックボックスを開けようとするわけです。

 「なぜこういうことになるかというと…(したり顔でブラックボックスを開ける),こういう仕組みになってたわけですね!(エヘン!!」

 とくに仮説構成体が多用される心理学において,ブラックボックスの中身がどうなっているのかを検討するというアプローチは,よく見られるものだと感じています。どうでしょうか。


◯研究上の関心と「開きたいブラックボックス」

 しかしながら,研究者はそれぞれに関心のある事柄が異なります。例えばある精神疾患を文化社会的に検討しようという人は,認知神経学的なメカニズムを深くは掘り下げない。認知科学的にそれを検討しようという人は,例えば分子生物学的なメカニズムを深くは掘り下げない(同様に文化社会的なメカニズムも深くは掘り下げない)。

 つまり我々は,自分が説明したいことだけを,自分の好きな方法によって,説明したい水準に限って,説明しているんですね。僕が興味を持って,これは開けたい!と興奮しているようなブラックボックスは,数あるブラックボックスの中の1つに過ぎないのです。決してそのブラックボックスから出てくるものは「真理」と呼べるようなものではありません。あくまで,一つのもっともらしい説明に過ぎないのです。


ブラックボックスを選ぶ



 例えば僕が,ある精神疾患の中核症状が"なぜ"生じるのかを知ろうとして,その症状の背景となる認知機能障害を発見したとします。すると,これまでは「こういう疾患にはこういう症状がある」としか分かっていなくて,そのメカニズムがブラックボックスの中にある,というような状態だった説明に,新たな情報が付け加えられます。すなわち,「こういう疾患には,こういう認知機能障害が伴うから,こういう症状がある」というところです。ブラックボックスの中に隠されていたメカニズムが,1つ明らかにされました。

 しかし僕が苦労して明らかにしたこのメカニズムも,立場が変われば,"なぜ"の餌食になります。例えば,"なぜ"その疾患ではそういう認知機能障害が発生するのか,"なぜ"その認知機能は障害されるのか,など。言い換えれば,この説明では遺伝子との繋がりも分からないし,神経学的な基盤についても全然分からないし,認知機能の細かい部分についてもよく分からないのです。

 僕がブラックボックスを開けて取り出した「説明」にも,結局は別のブラックボックスが含まれているんですね。ブラックボックスを開けるんじゃと意気込んで研究し,その成果を手に「ほら!説明したった!ほら!ホラホラ!」とにじり寄ってみても,相手には別の「"なぜ"?」が浮かんでいるわけです。

 要するに,「"なぜ"という問い」には終わりが無いんですね。もちろん個人内では終わりがありますが,同じ現象を共有している研究分野がたくさんあるような状態だと,その分野(研究上の関心と言っても良い)によって問いたい"なぜ"が違ってくるわけですから,単一の"なぜ"に対する回答で全てが解決するというようなことはありません。誰かがその現象を説明できたと思っても,すぐに次の"なぜ"が出てくるのが当たり前です。

 ブラックボックスの中には,さらに小さなブラックボックスが入っている。科学的な説明というのは,そのような入れ子構造性を持ったものなのではないかというのが,僕の考えです。


◯説明の入れ子構造性とマトリョーシカ・アナロジー

 日本心理学会のWSにおいて,こうした入れ子構造性について,まるでマトリョーシカのようであるなと冗談めかしてお話ししたのが,マトリョーシカ・アナロジーの始まりでした。

 僕がこのマトリョーシカ・アナロジーに関係していると思う問いは,「なぜ」です。このエントリでも,"なぜ"という問いを中心に話を進めてきました。ですから,マトリョーシカにセリフを与えるとしたら,当然「なぜ?」です。そしてマトリョーシカを開ける時に,「なぜなら…」という音がする。そして,出てきたマトリョーシカは,さっきのと同じように「なぜ?」と言う。そんな様子をイメージしています。

なぜと問うマトリョーシカ




 絵がちょっとキモいね…。

 さて,マトリョーシカ・アナロジーについては,以下のようなところが優れているんじゃないかなと思ってます。


 1.科学的説明の入れ子構造性を捉えている

 2.説明の水準が大きく/小さくなっていく点を感覚的に捉えている

 3.現象自体は変わらないという事と,マトリョーシカの形状が変わらない事がパラレル

 4.なんか,カワイイ



 以上の点によって,自分がしようとしている説明が入れ子の1つであり,そこにはさらに大きな/小さな説明があり得るのだという事がよく理解できます。また,同じ現象に対するいくつかの説明がなされている場合に,各説明の水準をサイズによって整理することが出来そうです。さらに,何らかの現象について,そのメカニズムを明らかにしようとする時,何をどういう順番で明らかにするかとか,どういう分野の知識を得ることが必要かというような,研究上の示唆を得る助けになりそうです。まぁ,他にも色々あるかもしれないし,無いかもしれません。

 このアナロジーは科学哲学的に新奇な枠組みを与えるものではありませんし,研究デザインに革命をもたらすようなものでもありません。ただただ,研究者の思考を導いて整理するプラットホームのようなものに過ぎません。このアナロジーはレビューにも使えるでしょうが,むしろ研究の実務者が使用するために作られたものだと考えています。かわいさがそれに寄与したら良いけどネ。


◯まだもうちょっとこの話を続けたい

 さて,ちょっと時間が無くなってきたので,今日のところはここまでにしておきます。

 次の機会には,もうちょっと話を進めていくことに加えて,優れたマトリョーシカ的研究の紹介なんかもしてみようと思います。さらにこのアナロジーを通して見えてくる,研究者同士の関係性についても書いてみましょうか。そして,±1マトリョーシカというスタンスについても書けたらなと思います。

Comment

Comment Form
公開設定

Trackback


→ この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。